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柳川は、数多くの文豪を輩出し、また文人たちをひきつけてやまないまちです。なかでも、明治・大正・昭和を生き、日本の近代文学に偉大な足跡を残した詩人・北原白秋は、豊かな風土が長い年月をかけて織りなしてきた水郷の景趣に心ひかれたいちばんの文豪です。
柳川の風情を多くの詩に詠んだ白秋は、明治18年、沖端町に生まれました。北原家は、代々柳河藩御用達の海産物問屋を営む旧家で、白秋は少年時代、”油屋のトンカジョン(大きな坊ちゃん)“と呼ばれていました。父の時代になると、酒造りが主となり、大変な繁盛ぶりを見せたといいます。
伝習館中学時代から文学に目覚め、友人と回覧雑誌『蓬文』などを発行。
”白秋“と号しました。
明治34年、白秋の生家は沖端大火で大部分が焼け、残った母屋も人手に渡りました。傷心の白秋は、詩歌の創作に熱中し、大学の時には早くも詩壇に知られるようになりました。24歳で『邪宗門』、26歳で『思ひ出』を発表し、揺るがぬ地位を確立。作詩活動に精力的だった白秋は、短歌や童謡、民謡も手がけ、”国民詩人“、”詩聖“と称されるようになりました。
「水郷柳川は、我詩歌の母体である」と述べ、57歳で亡くなられるまで生涯柳川を愛し、数多くのすぐれた詩を残しました。 |
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白秋生家は、明治34年の大火で大部分が焼けてしまいましたが、昭和44年に県文化財史跡の指定を受け残った母屋を復元。現在では、白秋の遺品や原稿などを展示し、一般に公開されています。
その奥には、昭和62年、生誕百年を記念して建てられた「柳川市立歴史民俗資料館(白秋記念館)」があります。1階には柳川の歴史と漁業の町沖端を中心とした民俗資料を展示。2階には北原白秋の全体像を時代別・テーマ別に展示しています。小学校時代からの写真や愛用品の数々、白秋の著書・雑誌・原稿や童謡のレコード、肉声まで、貴重な資料から白秋の人となりが伝わってきます。
「からたちの花」「ペチカ」「この道」など、多くの名作を世に送り出した北原白秋。沖端で生まれ育った彼は生涯、この地をこよなく愛し、『思ひ出』『水の構図』などの詩集を開くと、柳川の風景をつづった詩が数多く残されています。 |
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