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立花宗茂は関ヶ原の戦いで豊臣方につき、柳川を追われました。かわって柳川を治めた田中吉政は、堀割の整備、天守閣の築造、道路の新設・整備、有明海岸の埋め立てなど、土木事業に数多くの業績を残しました。その後、立花宗茂が再び十二万石の城主となり、明治維新まで藩政は続きました。そんな城下町の歴史と、まちのいたるところで出会うことができます。
まず、藩主の遊息の地であった「御花」。庭園「松濤園」は日本三景の一つ松島を模して造られたもので、国指定の名勝となっており、冬には野鴨の群が渡来することでも有名です。堀割の水を引き入れた築山山水の古風な庭園が広がる「旧戸島家住宅」。寛永年間に築造され、藩公の茶室となったもので、建物は県文化財の指定を受け、庭園は国の名勝に指定されています。
立花家の菩提寺である「福厳寺」には、歴代藩主が祀られているほか、作家・檀一雄、長谷健などの墓もあります。一方、真勝寺は、慶長5年、三十三万石を領して柳川に居城した田中吉政公の墓の上に建っており、本堂自体が吉政公の墓と言われています。その他、安東省菴の墓や三柱神社など、深い歴史が息づいています。
柳川は城下町として栄え、情緒あるまちや文化は、数多くの人々に影響を与えています。 |
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